指談(ゆびだん)でお話しましょう! › それは 本当だろうか?

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2017年07月13日

老衰と言うけれど


ご高齢の方への氣圧療法のご依頼をいただきご自宅にお伺いしました。

緊急に入院されていて点滴で 状態が落ち着いて退院されたところ。



たまたま在宅のお医者さまが訪ねてみえたのです。

皮下に水分を入れられなくなると熱が出て熱中症になる、

最期はそう先のことではないとご高齢のその方の横でおっしゃって

私はびっくりしました。


その直前にご本人が指談で 「もう危ないのかと思ったけれど退院できて

まだ生きられるように感じている」と伝えてくださったばかり。

いのちはいつまでかわからないが精一杯生きる、と伝わりました。



バイタルを計られて お医者さまが 「あれ?おかしいな。」と言ったのです。

皮下に500mlの水分を入れてるだけでは そろそろ熱中症のように

体温上昇が出ているはず、それなのに あれ熱もないですね。

でも奇跡は毎日は起き続けないから 終末期はひと月くらいで来ますんで‥‥と。



いのちは いつまでかわからないけれど 寿命を全うできるようにと願います。

ご家族も 生きられる時間を明るく見守っていきますと言われて。


誕生と死はセットでその間が生、と村上和雄先生が仰ったのです。

終末期であっても いきいきと生きることを応援したいです。













  


Posted by まきの じゅんこ at 17:34Comments(0)それは 本当だろうか?

2016年11月09日

わかっている人になる。


石川県にお伺いするのはこれまでも何度もあって

そのうちのほとんどが週末だったのです。

かっこちゃん(山元加津子さん)の住む石川県ですが

週末にはかっこちゃんが講演会で県外に行かれることが多く、

宮ぷーはその間をショートステイの利用をするので

石川県にお伺いしてもかっこちゃんにも宮ぷーにも

会えないことが重なっていました。


今回は タイミングよく、かっこちゃんが石川県にいて

かっこちゃんと一緒に宮ぷーにも会えたり、

津幡市での指でおしゃべりの会にかっこちゃんが午前中に来てくれて

久美ちゃんのお話、無脳症のちーちゃんのお話、宮ぷーのことも

指でおしゃべりの会のみなさんに聞いていただくことができました。


かっこちゃんが 言葉が出なくても みんな思いがあるし、

学んで知るんじゃない、生まれた時から知っているというお話に

障がいのあるお子さんたちが(普段は寝ていたり、むすっとされているお子さんも)

身を乗り出すようにして瞳をきらきらさせて聞いてくれました。


とも君は わかってくれる人が ここにもいる!というふうに 声が出て

にこにこされていました。


小松市の会場で主催してくださったおかあさんからメールをいただきました。


*************転載ここから*************

こちらこそ、三回もの指だん講習会に往復してくださって、本当にありがとうございました。

参加者のママさんや支援者から、これからの子育てが楽しくなりそうや、

大切な事を学んだ、出会えてよかったとお礼の言葉をたくさんいただいてます。

指だん、筆談ができる家族が二組もできて、これもすごいことだと思います。

指だん、筆談というコミュニケーションツールを学ぶ事と同時に、

我が子とどう向き合えばよいのか、コミュニケーションがとれないことで、

不安や自信喪失しやすいママ達の気持ちを肯定し、背中を押してもらえたような、

そんな気もしています。皆、終わるときはニコニコでした。

*************中略 ここまで*************



まだ おしゃべりができていない親子さんも笑顔が増えたり、落ち着きが出たり

嬉しい変化が感じられます。

初めは 不思議だと思われたおかあさん方も 声かけが増えていたり

表情の変化でのコミュニケーションに自信が持てたそうです。

まずは、思いがあると わかっている、そのことが スタートです。



  


2016年09月28日

思い込み

photo by松原徹郎

以前に中学生だったNちゃんとお話をした時に お母さんは

夜のお薬を飲むたびにNちゃんが泣く理由を 聞きたいと

言いました。


それで指談で 薬の味が嫌いですか?ときくと いいえ、

飲むと氣持ちが悪くなりますか?と聞いてもいいえの返事でした。

あらら、それでどうして毎晩泣くんだろう、と思った時に ふっと

「どこかで いつか お薬を飲むたびに泣くというのがセットだ」という

思い込みをしたのじゃないかしら、と浮かんだので 尋ねました。


Nちゃんは驚いた表情で 「えっ!みんなそうじゃないの?」と指に書いて

その晩から 泣かなくて、やっぱり ひとつの流れとして 思い込みがあって

嫌だとか辛いとかじゃなくて泣いたんでしょうってわかったのでした。


Mちゃんは4歳の女の子。

出産時から 次々に辛い症状がやってくる4年間だったそうです。

ふっと、辛い体験ほど深い学びができるという思い込みがあるかな?って

イントゥイーションがありました。(いつもそれは右耳の後ろで感じます)


それでMちゃんに 学びのためには辛い体験ほどいいって思ってるの?と

聞きました。

楽しいことの中やなにげないことにもたくさんの学びがあるって知っている?と

聞くと「あらら」と指先に書きました。

あらら、と二回書いてくれました。

会った瞬間は 大人のような、奥に強い決意を感じる表情でしたが

このあとのMちゃんは すっかり4歳のあどけなさが出た表情に変わり

お母さんと一緒に 学びのために これからも経験をするの、と言いました。


指談でお話をさせていただく時に 通訳だけではないこんな時間があります。

おしゃべりは 双方向のキャッチボールなんですもの。




  


2016年08月09日

倉敷

笠岡市で何度かさせていただいていた講習会を

今回は倉敷に会場を変えて開催されました。


「ご参加のお申し込みが少なくて…」と聞いたのですが

当日のお申し込みやご家族で来てくださる方があって

会場がちょっと狭く感じたほどでした。

暑さの中、お集まりいただきありがとうございました。

前半は二宗さんの体験談をお聞きしました。


途中、休憩時間にパニックになって親子で参加のお嬢さんが

大きな声を出してしまった時、お母さんは「もう連れて帰ります」と

言いました。でもご本人は帰りたくないので余計に声が出ます。

前半はとても落ち着いて聞いてくださっていたのですもの。



他の障がいの方に付き添われていたスタッフさんが

「私にも自閉症の子がいるので」とそのお嬢さんと一緒に座って

落ち着くようにサポートしてくださってありがたかったです。


そして他の人をつねろうとしてしまったり 大きな声を出しても

その場にいることを主張していたお嬢さんの氣持ち。

お母さんが困ったり怒ったりすると いたたまれない、そう感じました。


プライドは誰もが持っています。

勇者さんたちはいっそう、高いプライドを持つ人が多いと聞きます。

お母さんにはそのプライドを傷つけるような話をしてほしくない、

できていること、素敵なことを ほかの人にも伝えるような話を

望んでいるんじゃないでしょうか。

できていること、素敵なところを見て、誉めて欲しいです。


落ち着いたあとは穏やかな表情で最後まで聞いてくださいました。

指談について初めての方が参加してくださったので

ワークショップは基本に戻って 誰にも思いがあること、

返事ができないことと 理解がされないことは別なのだと

お伝えしました。


指談をきっかけに関わりが変わったと教えていただいた例を

今回はたくさんお伝えしました。


毎回来てくださるKちゃんは今回、ご家族で参加。

「ほしい」と言葉で言えるようになったそうです。

時々、声を出してお返事をしているのも嬉しい変化です。

今日はお話することがあるかしら?と聞くと 自分から前に出てくれて

「おしゃべりはいつもしてるの。」と指談で書きました。

そうなんですね、無言に見えていてもおしゃべりできていると

Kちゃんが感じていたから 一方通行のようだったんですね。


キャッチボールのように受け取ってもらうこともおしゃべりと

Kちゃんが感じてくれたから声で伝える変化が出たのでしょう。


椅子のお片付けを今回も手伝ってくれて握手をスタッフさん全員と

ぶんぶん!として帰っていくのがかわいらしかったです。


大阪に戻ると淀川花火大会でした。



  


Posted by まきの じゅんこ at 17:14Comments(0)それは 本当だろうか?深い想い

2016年07月26日

過敏な感覚で 生きること



ご縁をいただいて 聴覚過敏や視覚過敏を持つ方に

会ってきました。

この方は言葉でコミュニケーションをとることができます。

ご相談の内容をお母さまが書いたメモをひと目見て

「昼夜逆転も足して」とすぐにおっしゃいました。


みんなと違うから、同じになりたかったなぁと。

パニックは嫌、とも。

その理由が みんなに迷惑をかけるから 嫌なのと。

なんて 優しくて繊細な心で生きてこられたのでしょう。


パニックになる時は 心が 落ち着くべきところにいられない状態。

心を落ち着けていられる場所はお臍のずうっと下になります。


手のひらで 背中を触ってふるふるとすると さする音で 触ってることが

わかると おっしゃいました。

触られることの感覚が触感ではなくて音なのが 意外でした。


肩甲骨の間に手を置かせてもらうと 手の暖かさを感じるそうでした。

部分によって感覚が違うのですね。


手の指、足の指も触らせてもらって 1本ずつ、脳に感覚を伝えます。

足は右側が感じにくく、冷たいことがわかりました。

自分を守るために 感じにくくしているのかもしれないですね。


そうっと触れてお話をしていくと 姿勢も起こせるようになってきました。


一旦記憶した場所や状況を変えてしまうと 上書きが苦手で

以前の記憶が残っていて混乱するのだそうです。


音楽は大好き、曼荼羅の塗り絵も、好きと教えてもらいました。

生きにくさが小さくなって 楽しい時間を送れるといいなぁと思います。


指談で 思いを表出できると 頭の中で嵐が静かになると教えてもらいました。

こんなおしゃべりの時間から ご自身のなかの素敵さを認められ、

不安が小さくなって 楽しいことに心を向けられるといいですね。

  


2016年06月23日

海の波



満月も過ぎ、夏至も済んで 6月も残りわずかです。

ご縁をいただいて 戸隠へお仲間と行ってきました。


信州に生まれても 戸隠に足を運ぶのは初めてです。

戸隠講といって 周囲の何軒かが講を作り

毎年、どなたかが総代として戸隠神社に参拝して

みんなの家にお札を預かってくれ、実家でも神棚に祀っていました。


今月は久高島の海で新月を迎え、戸隠の山で満月を過すという、

ありがたい流れでした。


自然の中に入ると感性が開かれると、「無意識の整え方」という本で

「森へ」の社長さんが言っています。

日常に五感を使うことで第六感も開かれるのだとも。

久高島も戸隠神社も 感性を開く場だったと思います。



私たちは海の波のように ひとつひとつ違っているけれど

海はその波を全て含んででひとつ、という例えを矢作直樹さんがされています。


離れていると感じても視点を変え、俯瞰すれば繋がってひとつなのですね。







  


Posted by まきの じゅんこ at 16:23Comments(0)それは 本当だろうか?

2016年06月16日

プロトタイプ(原型)


誰もが 自分の中で プロトタイプ(原型)を持っていて

みんな、同じ型を持っているという勘違いをします。


その型に合わないものが きっと未常識なのですね〜。


対話も 言葉で音声で、あるいは文字で、身ぶりで。

対話の定義を広げてみる(稲葉俊郎さん) と いいのですね。

非言語の対話、存在していることでも対話している、ということ。


五感を使う、自然の中で過ごす時間を持つ。

感性を広げて 地に根ざして暮らす。


みんな違ってみんないい。


そんなことを 考えています。







  


2016年03月28日

境目が・・・。

(画像はネットからお借りしました)
私たちは大きな宇宙の、この地球の日本にいて

同じ時代を生かされている宇宙の同級生だと言った方がいます。

宇宙の同級生、みんな仲間、という考えがとても素敵だと思います。


だれのために、なんのために 指談を伝えるのでしょう。

言葉が出せない、と思われているどなたにも深い思いがあり、

その思いを伝えられることは喜びだということを知ってしまったから。

言葉が表出できないと思われている方にも いくつもの方法があり、

表出の方法のひとつに指談もあることを伝えたいのです。


指談が特殊な能力でなく、こちらの準備が整えば始められる

誰もが持っている、常能力だと感じています。

未だ常識にはなっていない未来の常識、未常識なのだと。


読み取りのスピードが早いと 予測で勝手な言葉だと怪しまれる、とも

言われましたが、ご本人がそのスピードで伝えている言葉ならば

そのスピードで声になるだけ、速さはご本人のスピードなのです。

予測して声に変えているわけではないから 伝わるスピードを

私からは変えられないのです。

両手で 指談をさせていただく時に 私に伝わるスピードと

お姉ちゃんに伝わるスピードが違っても内容が同じことがありました。


心と心が繋がってこそ、思いが伝わるのではないかと思っています。

そこには 当事者さんと私という境目のない時空間があります。

家族ではないことも初対面であることも 消えてしまう時空間。

宇宙の同級生がお互いを受け入れて成り立つコミュケーションと

思っています。

このごろ、境目がとても希薄というのか 境目もない感覚があります。

身内と他人、障がい者と健常者、正しいと間違いというように

二元的に区別する時代はもう過ぎようとしているのかも知れません。


I'm OK and You are OK.

みんなで生きている、支えて支えられて支えあっていく世界では

どっちが上とか正しいとか 頑張って言う必要がありません。

誰もが自分にしかなれません。

どんなに憧れても その人そのものにはなれません。

自分自身を生きていく。 勇者さんの人生はまさにそういう道ですね。







  


2016年03月11日

素敵な 言葉です。


指談あい のまーさんが とても素敵なブログをFacebookで

シェアしてくださって、あ〜、私が伝えたかったことが

とても素敵な言葉で綴られている、と思いました。

こちら☆

311の今日、このことばに出会えたことは 意味がありそうです。


指談を伝える時、誰もが持っている感性を 開くこと、広げることを

お話しします。常能力、そう思っています。


その言葉だけでは説明不足だったのかも知れません。

反省も込めて、素敵なブログにどうぞ目を通して感じてくださいね。
  


Posted by まきの じゅんこ at 21:04Comments(0)それは 本当だろうか?氣付き

2016年03月09日

みと君

みと君とは 昨年12/20に会いました。

声が出てしまうこと、部屋の中でじっとしていることがなく、

外へ飛び出そうとされたり、広い会場では 走るように動き、

スタッフさんが必死で後を追い続けていた姿が浮かびます。


先日、出会った瞬間に そのにこにこしてる男の子が

あの時の みと君とは認識できなかったのです。

会ったことがあるよね、どこでだっけ?と想っていました。


ワークショップでも 椅子に座ってにこにこしてるし、時々立って

部屋の中で移動もしますが 穏やかな動きで後ろに行ったり前に来たり。


ワークショップが進んで 指談でお話を聞いてる時も穏やかにしていて、

「じっとしていられて 嬉しい。じっと座れてびっくりした」などと

おしゃべりしながら とても寛いでいてごろんと寝そべったのです。

まだ あの時のみと君と同じ男の子なんだと認識できていませんでした。


最後におかあさんのコメントで 「え〜っ?あの時のみと君なの⁉︎ びっくり!」

と 驚きとともにようやく認識できた次第です。


指談をきっかけに おかあさんの声かけがとても増えていると教えてもらいました。

あの時と同じみと君なら こんなにもじっとしていられてご本人の驚きは

もっともなことです。

すっかり見間違えたこの2ヶ月余りの時間での変化はとても嬉しい驚きがあります。