2015年09月12日

離見の見(りけんのけん)


違いがあることを排斥しようとしたり批判したりせずに

違いを認めて調和する道を選ぼうと思っています。


でも、 言葉のない人と言葉のある私という感覚があって、

対等な関係でありながらお互いの違いを認めるという意識が

普段言っていることとは裏腹に 身についていないことを

先日、個人依頼で伺ったときに 氣付かせてもらいました。


それは 言葉のないAさんから「どうして言葉が伝わるの?」と

質問された時に「どうしてかわからないの」と私が答えて

それは科学的な根拠や説明はまだよくわかっていない、

という意味だったんですが 質問したAさんとは指談では

初めてのコミュニケーションでしたから不安を与えたかも

知れません。


その日、ご縁を繋いでくれたYさんが同行してくれて

このことに氣付いて私に言いました。


能の世阿弥の言葉に「離見の見」という言葉があります。

客観視をすることの大切さを説いていますが

Yさんの視点のお蔭で とても大切なことに氣付けました。


逆の立場からの視点に欠けていたことに氣がつけました。

ありがたいなぁと思います。


自分で離見の見ができることが理想ですが こうして

よくなるための氣付きをもらえる仲間がいることが

本当にありがたいと思います。

言葉のない方にもこちらの思いを指先から感じられる、

読み取ってもらうだけではなく、〇や/をご自身が読み取れると

指談につての不安が消えるのではないでしょうか。


「だれにも言葉があると知っているからできるの。」そして

「あなたも練習すれば私の指先から私の想いがわかるようになるの」と

言うことにしようと思いました。